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相双の会 会報105号

相双の会 会報105号

原発事故被害者「相双の会」会報105号が届きましたので、転載します。

新型コロナウイルス感染者が世界中に蔓延し、経済優先の国は今になって対策に苦慮し、入院施設すら確保が危ぶまれています。

日本は「GoTo トラベル」と称するコロナ蔓延に導くような取り組みをしてきました。
確かにこの「トラベル」で、ほんの一部の人には恩典が有ったでしょう。
しかし、もっと掘り下げて見たとき、あらゆる職業の労働者は「トラベル」に行く余裕があったでしょうか。
長時間労働で過労死するほど働いても余裕がないため子供たちを大学にやりたいができない。
学生のアルバイトは生活費のために飲食店等で働いているのが多いようですが、コロナ禍で飲食店がわずかの「協力金」で営業時間短縮を強いられて閉店し、アルバイトを奪われ退学を余儀なくされています。

その一方で、特に安倍晋三政権下で法人税率は引き下げられ、消費税率は引き上げられ、大企業も貧乏人も同じように「より広く税負担を分かち合う」構造へとシフトしました。
日本の法人税率は、ここ 30 年ほどは年々減少傾向にあります。
日本の法人税の基本税率は、1984 年は 43.3%、1999 年30%、2012 年 25.2%、2019 年4 月1 日時点で 23.4%です。
1990 年には日本の上場企業の内部留保の総額は200 兆円でした。
現在はなんと 500 兆円にも積み上げられていると言われています。
零細企業・庶民は低賃金から所得税、消費税(10%)をとられますから、当たり前の生活が出来るわけ有りません。

こうした政治の冷酷さは、原発事故被害者切り捨てと全く同じです。

原発事故による放射能公害で被害者は全てを失い、10年になろうとしていますが、何が解決したのでしょう。
国も東電も「賠償しました」と言うが、被害者の声も聴かず、加害者である国と東電が一方的に決めた基準での賠償で終わらせているのです。

さらに被害住民から放射線量からして避難解除は時期尚早と言われても強引に避難解除する始末である。
やむなく高齢者だけが「帰還」し、若者や子供は戻らず、そのために地域、家庭が崩壊し、希望を失い自死者が増えている現状なのです。
そのうえ、放射性物質トリチウムなど含む汚染水海洋放出を漁業者や地元住民が猛反対しているにも関わらず、画策するのは許せません。

ふる里を返せ津島訴訟

「津島訴訟」とは、2011 年3月 11 日の福島第一原発事故に伴う放射能汚染によって「ふるさと」を追われた、浪江町津島地区の住民による集団訴訟です。
津島地区は阿武隈山間の集落です。

原発事故当時、同地区には約 400 世帯1400 人が暮らしていました。
緑豊かな地域で渓流釣りではヤマメ、イワナと山菜、秋は松茸はじめ豊富なキノコが採れ自然豊かな地域でありました。
その豊かな自然を原発事故で全て汚染されてしまい強制避難となってしまいました。

現在でもこの山あいの集落は放射線量が高く、帰還困難区域に指定されています。
津島地区の住民は、代々培われてきた伝統芸能や先祖が切り拓いた土地を承継しながら、地区住民がひとつの家族のように一体となって、豊かな自然と共に生活してきました。

ところが、津島地区は、現在もなお放射線量の高い帰還困難区域と指定され、地区全域が人の住めない状況となっています。
津島地区の住民は、いつかはふるさとに帰れると信じながらも、いつになれば帰れるか分からないまま、放置されて荒廃していく「ふるさと」のことを遠く避難している仮住まいから想う日々です。

国及び東京電力は、広範囲の地域の放射能汚染という重大事故を起こしておきながら、原発事故に対する責任に正面から向き合おうとしません。

このような姿勢に堪えかねた津島地区住民の約半数となる約230 世帯700 名の住民が立ち上がり、平成27 年9月29 日、国及び東京電力を被告として、福島地方裁判所郡山支部に集団提訴をしました。
今年の1月7日、第 33 回目の法廷で結審となり、判決は7月 30 日です。

最後の原告陳述及び弁護団による責任論・損害論の最終弁論が行われ被害の過酷さを訴えるとともに、国・東電の事故責任を厳しく追及する弁論でありました。
現在、居住制限区域と避難指示解除準備区域は避難解除されています。

 

 

以下の文章は、この法廷で被害を訴えた原告による意見陳述の一部を抜粋したものです。
国・東電に被害の過酷さへの認識を迫ると共に、裁判に対して被害の実情を踏まえた公正な裁判を訴える、ふる里に対する痛切な原告の思いが表出された内容です。

津島地区の原告の訴え

積み木が崩れていくような不安感
津島での生活は、お金はなかったけれども、何の不安もなく、楽しい毎日でした。
私はこのような毎日が死ぬまで続くと思っていたのです。
事故前は休みの日でも畑に盆栽に、川釣りに、更には部落の諸行事に、 常に体を動かしている生活でした。
しかし、 今の生活はまるで積み木が徐々に崩れて行くかのような不安感の中にいると、子供の頃から魚を釣ったあの川の側の、野鳥が群れていたあの森の側の「あの家で自分は死ななければならない」との思いが全身に満ちるのです。
なんとしても津島に帰りたい。
(原告男性)

土足であがるしかない変わり果てた自宅
津島は帰還困難区域です。
立ち入り制限があります。
それでも帰るたびに、変わり果てた自宅の姿を見て、また悲しくなります。
津島の自宅は、私たち家族が何十年もそこで暮らし、一番幸せを感じられる場所でした。
原発事故が起こるまでは毎日掃除をし、 子供たちが少しでも汚したり散らかしたりすると大きな声で怒鳴っていました。
その自宅は、今では天井や床が抜け落ちたり、畳には真っ黒なカビ生えたりしています。
嫌な臭いも充満しています。
ネズミの糞など方々に有りそれはひどいものです。
余りにも汚すぎて靴を履かなければ家に上がれません。
このように変わり果てた自宅でも先祖から大切に守られてきた私たちのお城です。
そんな自分のお城へ土足で上がらなければならないこの辛さが、あなた方(注: 国と東京電力)に分かりますか。
(原告女性)

それでも津島に帰りたい
これから先、私たちもふる里を取り戻すことはかなわないでしょうか。
今の津島の姿は見るも無惨です。
先日も自宅へ行ってきました。
藪をかき分けて行った先にある家は、屋根に穴があき、床も抜け、部屋は獣に荒らされた跡がありました。
人の活動を忘れた我が家、なにより心のこもった津島の人たちの暖かさ、あの穏やかな毎日は、 一時帰宅しても全く感じられません。
本当に情けないです。
生まれ育ち成長させてくれた津島、優しいふる里はもう二度と戻っ てくることはないかもしれません。
それでも私は津島に帰りたいです。
このままでは、私たちの「つしま」は世間から忘れられてしまいそうです。
時間がかかっても、どんなに難しくても、ふる里をもう一度この手 にしたいです。
(原告男性)

政治の無策で失われる命
2021 年1月 22 日、国内の 2020 年の自殺者数は 2 万 919 人(前年比750 人増)と発表されました。
10 年からは毎年、減少が続いていましたが 11 年ぶりに増加に転じました。
新型コロナによる経済情勢の悪化や家庭環境の変化などが影響した可能性があると報じられている。
GoTo キャンペーンで感染が拡大し、PCR 検査も受けられず、入院先もなく自宅療養を強いられる政治の責任が大きいでしょう。
一方復興庁調査によれば東日本震災関連死は 2020 年 9 月 30 日現在、岩手県469 人、宮城県 929 人、福島県は断トツの 2313 人です。
これは、明らかに原発事故関連による死亡者が多いからと思われます。
その中には大勢の自死者も含まれているのです。
ご意見のお願い
是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。匿名でもけっこうです。
◇電話 090(2364)3613 ◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

是非、最寄りの映画館でご覧下さい。
又は地元映画館にリクエスなど上映を働き掛けて下さい。
また、5月よりの自主上映を企画して下さればと思います。

詳しくは「映画 サマショール 遺言」で検索ください。https://www.yuigon-fukushima.com/ 映画「サマショール ~遺言 第六章」遺言プロジェクト

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