原発被害者相双の会 会報111号が届きましたので、転載いたします。

日本は世界で唯一の核被爆国である事を踏まえて原子力発電所を建設したのでしょうか、戦後まもなく 76 年になるが、広島市の名簿には、これまでに広島で被爆して亡くなった人、32 万 4129 人の名前が記されていて、ことしは確認されているだけで4364 人が書き加えられる予定だということです。
経済産業省原子力安全・保安院は、福島第1原子力発電所1~3号機から放出された放射性セシウム 137 が、広島に投下された原子爆弾の 168 個分にあたるとの試算結果を公表しました。
放射性セシウムは無害である事は考えられない。
つまりセシウム137 により広範囲に汚染した大地は多少除染によって取り除かれたとしても大半は地上に蓄積しているのが現実です。

安心・安全とは何なのか

この事実を国・電力会社はどう見るのか。 国民の「命と健康」をないがしろにするならば、「社会発展のために頑張って生きていこう」などと考える国民はいなくなるで しょう。
当然安心・安全、希望の持てない 国となれば人口も激減することはあきらかで、現に日本は他国より減少傾向にあるのではないでしょうか、国民のごく少数の富裕層だけ優遇され大多数の国民は低賃金に抑えられ消費税をはじめ税金でがんじがらめにされ、独裁政治と言っても過言ではないと思います。

放射能公害に未来はない

原発は何のために稼働させたのか、経済発展のため、CO2(二酸化炭素)対策のためだといいながら、国民の血の滲む様な税金を使い平和利用だと称してこの世で最も危険な原子力発電所を稼働させました。
その結果、未曽有の原発事故を起こし200~300 年経過しないと大量に放出された放射性物質(セシウム)は消滅しないのです。

その間に被ばくが余儀なくされ細胞が壊され、晩発性放射線障害(放射線に被曝後、長い潜伏期間を経て症状が現れる障害。癌(がん) ・白血病・白内障・悪性貧血・老化・ 寿命短縮など)を伴い、20 年後 30 年後に健康被害が懸念されるため特に若い人たちは要注意です。
福島第 1 原発事故の損害賠償請求権は今年 3 月以降順次時効にされようとしていますが、とんでもないことです。

月日が経つにつれて被害が深刻になるのが原発事故です。
私たちは謝罪と百年賠償を求め続けます。

今年春の大熊町の繁華街。10年以上そのまま。

汚染土壌は国が処理する約束でしたが、処理しきれない量であるとして、全国の道路や農地造成などに使う計画をたて実証実験をしています。
災害時でも年1ミリ㏜以下におさまるはずという計算なのです。
しかし、どんな実験をしようが放射性物質が消えるわけではありません。
南相馬市小高区の常磐道四車線化に汚染土を再利用しようと目論んだが、地域から猛反対があり実施できなかったが、断念したわけではありません。

また汚染水海洋放出問題も汚染水がどんどん増え続けるため、一番安上がりな海洋放出を強行しようと一方的に閣議決定したのです。

なぜここまで国民を馬鹿にできるのでしょうか。
自然は自公政権のものではありません。
安上りだから公共事業に再利用、安上りだから海洋放出など許されるものでない。
自然・環境は生物そのものの宝です。
後世に責任のもてない社会、今が良ければ良いなど、ここまで成り下がった国はあるでしょうか。
これまで自然環境を奪い壊し続けて来た結果、地球温暖化となり災害が二倍にも三倍にもなり生活を破壊している現状を見れば分かるように、明らかに人災なのです。
原発事故も起きるべきして起きた人災なのです。

汚染水海洋放出問題は掘り下げていけばいくほど危険であることが明白です。
福島県民として被害者として、この 10 年どんな思いで過ごしてきたのか振り返ってみなければなりません。
放射性物質に安全基準があるのか、無害である証明があるのでしょうか、強制避難を強いられたのは他に手立てがないからであり、それだけ危険だったからではないでしょうか。
素人の私たちだって汚染水海洋放出は内部被ばくにつながるので危険であることは分かります。
安全である根拠が示されないまま閣議決定するなどと納得できません。

それならば後始末も出来ない原子力発電所を何のために作ったのか、国民が納得できるような論議をすべでしょう。
電力会社の利益のため、経済発展のため、国民の命と健康を脅かしてまで必要だったのか明らかにしなければなりません。

政権の数の驕りで、安全基準を都合の良いように法律化してしまい、何でも安全にしてしまい、事あるごとに実害をひたかくしにして「風評被害だ」と誤魔化してきたのです。

飯舘村で進められる「長泥地区環境再生事業」は明らかに「長泥最終処分場化」pj(プロジェクト)にほかならない。
「なぜ再生利用」をするのか? 環境省自ら除染で出た土壌が多すぎて最終処分場確保の障害になるからと言っています。

このpjは飯舘村の長泥行政区のローカルの問題と見ないで頂きたい。
事故が起これば放射能環境を元に戻す事が出来ない証です。

このpjは暴挙です
①事故前の土壌汚染は 10~20 ㏃/kg と言われています
② 原発構内はたった今も 100 ㏃/kg 以上 は危険物として管理されています。
③ 汚染土壌を利用した造成地が掘り返さ れたり、災害で土壌流失等おこらないか
④5,000 ㏃/kg の土壌が事故前に戻るには 240 年。この間の管理責任は誰が負うのか。 pj(プロジェクト)は飯舘村内から出た 5,000 ㏃/kg 以下の土壌の再生資材化と称し 飯舘村長泥地区での再利用実験汚染土て、農地除染は行わず盛土しその上に非汚染土壌をかぶせ農地として利用すると言うものです。

非汚染の土壌を30cm 覆土する事で放射線は 97.5%カット出来るといいますが、放射線をこの先 200 年以上出し続ける土壌が資源ですか?。

事故前の土壌汚染は鉱物など自然由来とグローバルホールアウトと言われる1950~1960 年代に行われた大気圏内核実験による人工放射能によるもので、大気圏内核実験の残渣は 60 年以上を経て漸くこの値になりました。

飯舘村長泥地区での再利用実験汚染土

今回の PJ で使用するのは 5,000 ㏃/kg ですが、原発特措法では 8,000 ㏃/kg まで再生利用出来るとしました。
この PJ は飯舘村だからこそできる?
何故ならば飯舘村の 84%は未除染で 10,000~50,000 ㏃/kg?の土壌だから、そこに 5,000㏃/kg の土壌を移動しても低減?するというのです。
全て誤魔化しです。

営農再開できますか?利益はゼネコンへ

この PJ の総予算は 212 億円、利益享受するのは何処、村?、村民?、新規転入就農者?いいえその何れでもありません、事業を請け負っているゼネコンだけです。

作業現場は 0.30~0.50µ㏜/h ですが、道中バスの中で 1.0µ㏜/h を超す事が頻繁にある村で営農再開しますか?
農業する場合はその土地に住み着く事が必要です、日の出とともに作業するのに避難先から通いますか?寝泊まりする場所、農作業する場所の放射線は?

なぜ原発事故だけ加害企業責回避

確かに福島県内で2,200 万袋の汚染土壌の処理は大変な事です。
これはやはり加害企業の責任で無害化するまで管理するのが前提です。
トリチウムを含む汚染水も同じです。
無害化するまで加害企業の責任で管理する。
何故原発事故だけは加害企業の責任回避がまかり通るのでしょう。

元飯舘村復興アドバイザーの田中俊一氏はこのpjに反対するものは飯舘村の復興を妨害するものだと言ったそうですが、私は飯舘村の復興を妨害する者になり続けます。

そして、測定し続け放射能公害の実態を後世に繋げていかなければならないと取り組んでいます。

二度と福島のような思いをさせたくない。
させてはならない。そのために悩みや苦しみは何代にもわたって続く事を、裁判闘争はじめこの 10 年間訴えてきました。

農業一筋に生活してきた家族が避難先から帰宅し荒れ果てた農地を見て生きる望みを失い自死、酪農家がようやく軌道に乗り安泰であったが原発事故で全てを奪われ 「原発さえなかったら」と牛舎に書置きして自死(写真)。

被ばくする危険があるから強制避難を強い、除染をしたからと避難を解除し帰還しろ。被害者の大半は「時期早尚」だと声を上げても無視し。挙句の果て「帰るも自由、帰らぬも自由」というのです。
解除で避難先の住宅保証も打ち切られ、生活が成り立たないために特に高齢者は息子や娘に迷惑をかけられないと帰還しました。
自分が死んだらいくら放射線量が高くてもいいから先祖の墓に入れてほしいと願っています。
現在は帰還者が頭打ちになり減少傾向にあります。
原発事故、放射能公害の実態はこうなのです。
放射性物質は自然消滅を待つしかなく、大半はセシウム 137 放射性物質であるが、元に戻るには300 年と言われています。

写真提供 豊田 直巳フォトジャーナリスト

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