なのはな生協 ピースアクション2016

核兵器の恐ろしさを伝えるのは私たち

7月27日~28日役職員、組合員6名で長崎へ行き、日本赤十字社長崎原爆病院、恵の丘原爆ホームに慰問とともに組合員さんにご協力いただいた折鶴を届けてまいりました。

被爆者の方から当時の様子や現在までの苦労を伺いました。各自持参した千羽鶴は平和祈念像、長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂にたむけました。

 

*****参加者からの感想をご紹介します*****

 

一人ひとりの思いで世界平和を

私は長崎に千羽鶴を届けに行きました。長崎では原爆で亡くなった人が沢山います。今から71年前8月9日に、アメリカが長崎に原爆を落としました。私は今、日本とアメリカが仲良くしているので原爆を落としたことを知って、アメリカのことをひどいと思いました。

私は原爆を知りませんでした。原爆を一番最初に知ったのは、めぐみの丘原爆ホームで被爆されたおばあちゃんのお話で知りました。私は原子爆弾をたった一つ落としただけで、たくさんの人たちが死んでしまうと聞いて怖くなってしまいました。私は決して原爆を落とさないと心に決めました。

平和資料館では、原爆の破壊力が物凄かったことが分りました。私は怖くて見ていられなくなってしまい早く資料館から出たいと思ってしまいました。ビンなどは原爆の爆風によってフニャフニャでペチャンコでした。すごくかわいそうでした。

戦争が終わっても日本以外の世界各地で原爆の実験が行われていることを知りました。私は最低だと思いました。

絶対に戦争をしてはいけない!!一人ひとりが思いやりを持てば世界が平和になると思います。

Oさん(小学4年生)

 

原爆を風化させない

最初にお伺いした恵の丘原爆ホームではホームの皆さまによる歓迎式典での美しい歌声と温かいお迎えにまず感動いたしました。

その後91歳の被爆者女性のお話をうかがいました。被爆から70年以上経っても目の前に悲しくつらい記憶が生々しく蘇ってくるのでしょう、まるで昨日の体験を話しているかのようなお話しのご様子に、改めて原爆の恐ろしさを感じました。

その後に伺った長崎原爆病院でも被爆者の方のお話を伺うことができましたが、「こんな話をしても話を聞いただけではわからないでしょう」とのお言葉に胸を刺される思いがしました。

そして、確かに実際に経験された方々と全く同じようには理解できないとは思いますが、これからも後の世代の為に私たちも語り継いでいくつもりだということをお伝えし「頑張ってね」と激励のお言葉をいただきました。

また長崎原爆病院では、以前に比べて各地から届く千羽鶴が減ってしまっていること、その中でなのはな生協の折り鶴はとても有り難いものだということをおっしゃっていただき、今後ともこうした活動を続ける意義を改めて確認しました。

他に訪問した原爆資料館や平和公園等の他にも、長崎市内には浦上天主堂に残された焼け焦げたマリア像や爆風で半分を吹き飛ばされた一本柱鳥居のある山王神社など、71年経った今も原爆の爪痕を残す遺構が有り、被爆地の人々にとっては原爆は決して遠い過去などではなく今もすぐそこに在る現実なのだと思いました。

理事 佐伯